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ネット王子とケータイ姫
ケータイがもたらしたコミュニケーションの変遷(その1)



「その昔、ケータイが無い時代もあったという」
まるで少女たちは「その昔、電気がなかった時代もあったという」という文脈と同様にこの言葉を発しているという。テクノロジーの発展とともに当時の最先端ツールを扱ってきた我々には思いもしない発見である。

その昔「ケータイ」は携帯電話であった。その歴史を見てみると、携帯電話が市場性を持つようになったのが1991年、ジュリアナ東京ブームの頃といえば、わかる人はわかるはず。テレクラによる「援助交際」が社会問題化したのも同時期である。この年、NTTが発売したのが画期的な超小型携帯端末「アナログムーバ」。時はバブル崩壊の直前、ビジネスマンに圧倒的な人気を博し注文が殺到したという。しかし月額基本料金は1万円を超える高水準であり庶民にはまだ手が出せない代物であった。

この時期、女子高生を中心に新たなコミュニケーションツールとして必須アイテムになりつつあったものが「ポケベル」である。もちろん暗号のようなメッセージのやり取りが行われているのは今も同じだが、公衆電話での早打ちは見るものを驚愕させた。その後ポケベルは1995年をピークに次第に終息へと追い込まれる。もちろん、その背後にあったものはピッチと携帯電話の普及である。

1995年といえば「阪神淡路大震災」の起こった年である。この頃携帯電話はまだ庶民にはなじみがなく,携帯電話よりも安価な通信料のPHSのサービスがようやく開始された時期である。被災地ではNTTが臨時電話を設置して通信手段を確保していた映像が記憶に残る。インターネットも黎明期のこの時期,ネスケが登場して1年,macはアメリカでパソコン出荷台数第一位を誇っていたという夢の時期であった。95年の携帯電話普及率は約500万台、いよいよ右肩上がりへと突入する。

さて,筆者が初めて手にした携帯電話は1997年,ido(現au)のもの。ホームセンターの開店安売りに早朝出かけて妻が買ってくれたもの。なにやら電池でも使えるというものだから,今から考えると重くてなんだか感度もあまりよくなかったが、流行もの好きにはこたえられないプレゼントであった。ただ,通信網も未整備であったので仕事で田舎へ行くと全然使い物にならなかったことも。ドコモは3本立っているのに,idoは圏外という寂しい思いをした…。97年の普及率は約2800万台。2年間で5倍の伸び率となった。

この年、各社ともにプチメールを始めE-Mailのサービスを開始している。これに飛びついたのはポケベル世代の新社会人。99年には初代iモードの登場とともに,「第三世代」の歴史が始まる。携帯電話が「ケータイ」と呼ばれはじめ,電話でなく情報端末として圧倒的な勢いで普及を始める。そして,初期費用「0円」でケータイを手にした少女たちは例の変態少女文字にあっと驚くバリエーションを付け加えてメールを打ち始めるのであった。

(とりあえず今回は歴史のおさらいまで)


【ソース】
移動体電話の歴史
Wikipedia

書名:ネット王子とケータイ姫―悲劇を防ぐための知恵
筆者:香山 リカ、森 健
出版:中公新書クラレ
価格:735円
発行:2004年11月

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